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仁保の見どころ

 仁保の観光スポットをご紹介します。

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仁保の施設

 仁保地区にある施設をご紹介します。

JR仁保駅

仁保市地区 にほえき 地図(Google)

 仁保駅は、山口県山口市仁保中郷にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山口線の無人駅。 蒸気機関車SLやまぐち号の停車駅でもあり、その田舎の懐かしい風景から仁保駅とその周辺はSLの撮影スポットとしても知られている。

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JR仁保駅のSL

 

KDDI山口衛星通信センター

高野地区 KDDIやまぐちえいせいつうしんセンター 地図(Google)

 KDDI山口衛星通信センターは1969年(昭和44年)5月、日本の衛星通信の玄関口として開設された。 インマルサット衛星を介して船舶、航空機、を取り扱っている。 また、日本で唯一、世界でも最大級の衛星通信施設。 センター内にあるパラボラ館は国際通信のしくみを分かり易く展示した見学用施設で、 年末年始および月曜日を除き無料で見学することができる。(見学には事前予約が必要。)

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KDDI山口衛星通信センター

 

嘉村礒多生家 帰郷庵

揚山地区 かむらいそたせいか ききょうあん 地図(Google)

 私小説作家、嘉村礒多の生家は140年前に建てられた。礒多はその短い生涯に数篇の名作を残しているが、 その全ての作品には、自己に対しての自戒と郷愁の入り混じったものが書かれている。近くに墓碑があり、 旧大富小学校跡と宮野の常栄寺に顕彰する文学碑が建立されている。現在は、山口市により改修が行われ、古民家体験が可能な施設として人気を博している。( 嘉村礒多生家 帰郷庵 平成22年11月オープン)

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嘉村礒多生家 帰郷庵

 

道の駅 「仁保の郷」

井開田地区 みちのえきにほのさと 地図(Google)

 できたてパンや手作り工芸品のほか、山口県内の特産品・土産品が多数販売されている。また地元の新鮮な野菜や果物が併設のいろどり市で販売。道の駅裏の子ども広場には長いすべり台などの遊具があり、多くの家族連れで賑わっている。

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道の駅「仁保の郷」

 

仁保地域交流センター

井開田地区 にほちいきこうりゅうせんたー 地図(Google)

 仁保の公民館に代わって新しく建て替えられた仁保の地域交流センター。

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仁保地域交流センター

 

仁保の自然

 仁保地区にある自然をご紹介します。

四季の森(白樺の林)

揚山地区 しきのもり 地図(Google)

 四季の森はその名にふさわしく、数種類の樹木があり、四季おりおりに人々の目を楽しませてくれる。 その森の中、壇ノ浦で源氏方に追われた平家の姫やその郎党が休憩したという平家岩と平家の泉がある。

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平家の泉

 

蕎麦ヶ岳

一貫野地区 そばがたけ 地図(Google)

 蕎麦ケ岳の標高は566.9m。遠くから眺めるとその山頂が蕎麦の実に見えることから名付けられたとも言われている。 登山は50分程度で急坂が少ないので子どもでも容易に登山できる。

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蕎麦ヶ岳山頂

 

犬鳴の滝

一ノ瀬地区 いぬなきのたき 地図(Google)

 仁保三景の一つで、昔一人の座頭が犬を連れて篠目に行く途中滝壺に転落して亡くなった。 連れていた犬がそれを見て、三日三晩吠き通し、座頭のあとを追って亡くなったことから、 この滝が犬鳴の滝と呼ばれるようになったという。犬鳴の滝の上には夫婦滝、曲水の滝があり、散策道の途中には種田山頭火の句碑がある。

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犬鳴の滝

 

重石

東園地区 じゅういし 地図(Google)

 仁保の三景の一つでもある重石は、麓から20分ばかり山道を登りつめた場所にある。 高さは約20m、四重の重箱を重ねたような形をした巨岩を後方から眺めると、前方から見るよりさらに壮厳である。

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重石

 

あすなろの巨木

大畠地区 あすなろのきょぼく 地図(Google)

 妙見社の入り口にある観音堂の境内に推定600〜700年を経たと思われる巨木がある。巨木は檜であるにもかかわらず 何故かあすなろの巨木と呼ばれている。

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あすなろの巨木

 

仁保の寺社・史跡

 仁保地区にある寺社・史跡をご紹介します。

瘡守様

金坪地区 かさもりさま 地図(Google)

 仁保上郷地区の県道から金坪集落に少し入ると瘡守様という社があり、御神体は鏡である。この社は、 皮膚病である吹き出物・瘡(かさ),できものなどにご利益があるといわれ各地から参拝者がある。 瘡守様は地元では傘森様とも呼んでいる。

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瘡守様

 

妙見社

大畠地区 みょうけんしゃ 地図(Google)

 仁保三古社の一社で、主神は天御主命、大内氏ゆかりの神社として、拝殿の桁に大内菱の紋章が彫られており、 創建は大同2年(807)と言われている。又別の一説では、京都から西下した岩倉大納言道長が家の鎮守として奉祀したともいわれ、 その碑が境内にある。なお嘉村礒多の作品(神前結婚)の舞台でもある。

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妙見社

 

天神様

井開田西地区 てんじんさま 地図(Google)

 祭神は菅原道真、天神様として親まれ、元井開田周辺の領主であった国司氏が防府天満宮から勧請したものである。 境内には明治5年に建立された道真公の歌碑がある。

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天神様

 

疣地蔵様

北河内地区 いぼじぞうさま 地図(Google)

 北河内と一之瀬境界附近の県道沿いにお堂があって、中に疣地蔵様がお祀りしてある。 お地蔵さまは別名「ことづけ地蔵様」ともよばれていて,疣ができた本人が祈願しても治らないが、 人に頼んで祈願して貰うと不思議と疣が取れるという霊験あらたかなお地蔵さまである。 又この周辺の地名を金剛という。大昔、奈良の金剛山から来た山伏がこの地に居住したことから名付けられたといわれており、 近くには山伏の墓が残されている。

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疣地蔵様

 

東仙寺

坂本地区 とうせんじ 地図(Google)

 東仙寺の本尊は十一面観音菩薩で、開山は奈良時代の高僧行墓上人。 又東仙寺は慶雲元年(704)行墓上人の手によって創建され、観音菩薩像も行墓上人が彫刻されたものと伝えられている。 その厨子は平成4年、堂の中に安置してある阿弥陀如来坐像は昭和57年に市の有形文化財に指定されている。 東仙寺は明応年間に焼失、同じ明応8年(1499)再建された。なお紫雲山東仙寺の称号は大内氏が命名したと伝えられている。 東仙寺の上下には祇園社と三鬼社がある。

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東仙寺

 

舟山八幡宮

仁保市地区 ふなやまはちまんぐう 地図(Google)

 八幡宮は最初、平子重経が源久寺山道の傍に建立したが、後の正平2年(1347)重経から六代の曽孫重嗣の手によって 現在地に建立された。祭神は、田心姫命、瑞津姫命、市杵姫命外東殿と西殿にそれぞれの神が祀られている。 後に大内氏が社殿を再建したが戦火により焼失した。慶長18年(1613)毛利輝元が再々建している。 境内にあるチシャの木は昭和53年県指定天然記念物に指定されている。

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舟山八幡宮

 

妙見神社

高松地区 みょうけんじんじゃ 地図(Google)

 下郷妙見社は、天長3年(826)に創建されたと言われており、仁保3古社の中の一社。主神は天御中主命で、 金毘羅様と天満宮が併祀されている。風土記によると妙見神社あるをもって妙見といふ「天御中主神社」称号妙見社。

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妙見神社

 

金毘羅社

松柄地区 こんぴらしゃ 地図(Google)

 金毘羅社の御神体は、弘仁6年(815)讃岐国(香川県)で、弘法大師が42歳の時彫刻されたものという。 合祀祭神は祟徳天皇と大物主命。当時瑠璃光寺にあったものを松柄に移鎮、金毘羅様は海の神で、 宝永年間(1704〜10)山口の岡本四郎左衛門が北越の海で遭難した際、信仰していた金毘羅様に祈ったところ波風が治まり 無事寄港できたことから、享保4年(1719)現在地に再建したという。

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金毘羅社

 

源久寺 

土井地区 げんきゅうじ 地図(Google)

 平子重経は恒武平氏の流れを汲み、冶承4年(1180)石橋山合戦の功で、源頼朝から恩賞として周防仁保庄の 地頭職を許され、土井の地に源久寺を建立し,近くに館を設けた。そして寺の山道には八幡様も建立した。 境内にある重経の墳墓といわれる宝筐印塔、仁保弘有画像、木造阿弥陀仏坐像は県指定の文化財、 木造重経坐像は国指定文化財になっておりイギリスの大英博物館に展示されたこともある。 また寺の周辺には三浦氏の墓、寿塔、供養塔、石経塔などがある。庭園の池には大賀ハス(古代ハス)が植栽され、 夏には大輪の花が人の目を楽しませている。

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源久寺

 

深野八幡宮

深野地区 ふかのはちまんぐう 地図(Google)

 祭神はひめ大神、中央に神劫皇后、左に応神天皇が祀られている。 祭神は福岡の筥崎八幡宮の分霊を勧請したと風土注進案にある。八幡宮の宝物として大般若経の一部が秘蔵されている。 これは三浦氏の末裔平重直が応永3年(1396)に奉納したものである。

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深野八幡宮

 

信行寺(仁保隕石の碑)

井開田東地区 しんぎょうじ 地図(Google)

 明治30年8月8日の午後9時ごろ、信行寺近くの田地に隕石が落下、近くの住民が探索して二個発見した。 一個は後に東京の博物館に所蔵されたが、別の一個は所在不明で、他に落下したいくつかの隕石は、 信行寺の屋根にあたってカラカラと音をたてながら落下したという。平成7年、住職がその記念として信行寺の境内に 「仁保隕石」の碑を建立した。

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信行寺(仁保隕石の碑)

 

下田しぐれ(七義民の碑)

高畠地区 しもだしぐれ 地図(Google)

 享保2年(1717)の春、他地区の農民が、入会権のない仁保の山野に立ち入って柴草を刈り取った事から、 いわゆる「下田しぐれ」の事件が起こった。そのような事が2度3度とあって、怒った仁保の農民800余人が鷹野が原に集結。 藩庁へ訴上しようとした事から、仁保の庄屋対他地区の庄屋たちの間に訴訟問題が起きた。 結果は仁保側の勝訴となったが、堤訴した仁保の庄屋7名は、享保3年下田河原で斬首された。 遺骸は下田の山中に埋葬され、その威徳を偲ぶ六地蔵様が墓標として立っている。

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下田しぐれ(七義民の碑)

 

きしおつ地蔵尊

金坪地区 きしおつじぞうそん 地図(Google)

 この地蔵尊には「きしおつ」という呪文が刻まれている。厄病除けの文句で中国の故事に由来している。 江戸末期の安政2年、コレラが全国的に流行した際、疫病から集落住民を守るために建立された。

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きしおつ地蔵尊

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きしおつ

 

丸山遺跡

丸山地区 まるやまいせき 地図(Google)

 丸山地区で遺跡が発見されたのは約60年前。遺跡は市教育委員会によって発掘され、石棺、壺棺、土器、石器など 数十点が出土している。又こうした出土品の一部は旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代のものである。また幕末の頃、 勤王公家の七卿が京都から追われてしばらく山口で隠棲、その折丸山の山で松茸狩りをして楽しんだ。 その七卿の碑が周辺民家の庭にある。

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丸山遺跡

 


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